"La Lumiere et l'Ombre"

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<<   作成日時 : 2010/02/25 16:27   >>

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近年、映画やテレビドラマの世界で技術的に進歩著しいのが、デジタル技術。映画に関して言えば、いくらHDカメラの技術が進歩したと言っても、未だ8割以上の劇場映画は、35mm,16mmフィルムで撮影されている。テレビドラマは僕の知る限りでは、4割くらいのNew Yorkで製作されている作品が、HDカメラで撮影されている。テレビドラマの方がデジタル技術への移行が早いようだ。技術の進歩は、僕ら技術者にとっても非常に便利だ。ただ、誤った使い方をする危険性も大いにある。

僕がデジタル技術、HDカメラを用いた撮影において一番懸念するのは、ある"勘違い"である。

まず、撮影中に起こりうるのが、する必要の無い、してはいけない妥協をしてしまう事だ。フィルムの場合現像して、それを見るまでは、上手くいったかどうかわからない。だからこそ、撮影開始、カメラをまわす前に最善の努力、準備をする。一方、デジタル、HDになると、その場でチェックする事が可能だ。しかし、それが最終的なものではなく、ポスト、つまり後の編集、仕上げの段階で調整、修正を加える事が出来るというのが念頭に出て来てしまう。「後でちょっとした事は、修正出来る」、その"ちょっと"が本当にちょっとした事なら良いが、単なる手抜きになってしまうこともあり得る。自分たちが何をしたいのか、何を作り出そうとしているのか、どういう映像を作り出したいのか、それをしっかり分かっていなければ、デジタルだろうが、HDだろうが全く意味がない。

僕は、デジタル技術は決して手を抜く為の道具ではなく、あくまで現存する技術を"補う"為の道具の一つに過ぎないと思っている。フィルムでしか、表現出来ない物があり、フィルムによる表現力を更に高める為にあるのが、デジタルテクノロジーだ。アナログがデジタルに付随したものと言う考えではなく、デジタルがアナログに付随した技術であるという事を忘れてしまっては、あまりにも危険過ぎると思う。デジタルは、アナログがベースになっているのだから。特に、映画、写真、音楽、これらの芸術は、決してテクノロジーに支配されては意味の無い芸術だ。だから、映画製作における色々な判断を行う際に、コスト面だけを考慮した決断を下すというのは、あまりにも馬鹿げていると思う。

間違いなく、映画製作の過程から、アナログのフィルムが消える日がいつかやってくる。そして、劇場からも、フィルムプロジェクター(映写機)が消える日がやってくる。その時に、映画を作る為の本当の手間とヒマのかけかたを知らないと、映画はいつかテレビに、DVDに吞み込まれ、世界の映画産業は間違いなく衰退の一途をたどる事になる。

今の子供たちは、恐らくフィルムのカメラを手にした事がほとんどないだろう。まして、携帯についているカメラが、それなりの画質を提供してくれるのだから、そもそも、写真の原理すら知らない子供の方が多いはずだ。それは、それで時代の流れで良いのかもしれない。ただ、映画、写真という芸術の世界に入って来るのであれば、まずは、アナログから。先日、日本の短編映画の賞を獲ったある学生の作品を見た。ストーリーは別にして、アメリカの学生映画との映像による表現力、クオリティーの差に驚き、日本の映画製作教育の現状に大きな不安を覚えた。確かに、映画製作における文化的背景はあるにしろ、基礎があまりにも、疎かにされすぎている。芸術なので、ルールがあるわけではないが、映画製作の過程には世界共通の"映画言語"というものがある。だから、"映画は映画"なのだ。

最近、日本映画が復調している、と言われるが、僕個人的には、非常に懐疑的である。僕の見解はこうだ。90年代前半まで、アメリカ映画、もっと限定的に言えばハリウッド映画、それも、本当に上質のハリウッド映画が日本人、世界の人を楽しませて来た。しかし、90年代後半に入るにつれ、ハリウッドでも"ネタ切れ"の兆候が出だし、ここ数年では、これも個人的な見解だが、"本当のハリウッド映画"が底を尽きつつあるという現状がある。その為、映画化された人気テレビドラマや人気コミック作品に観客が流れている。その影響で、洋画の興行収入が、20年前に比べれば、かなり"数字"が落ち込んでいる。そして、この数字を報道するマスコミが、日本人を勘違いさせている。数字は、あくまで数字で、その作品の本当の価値を表すのにはほとんど意味を持った働きをしない。考えてほしい、日本でヒットし数字を残したアメリカ映画が、常に本当に面白かったか?数字はあくまで数字でしかないのだ。つまり、日本国内でのアメリカ映画、海外映画と日本映画の競争力が落ちた中で行われている、マスコミの報道の仕方によって、恰も日本映画のクオリティーが世界の映画界に追いついたような錯覚を起こしているだけの話だと思う。一つだけ、はっきり言っておきたいが、そんな中でも素晴らしい作品がある事は事実だ。"映画"を作る事の出来る独特の監督がいるのは間違いないし、ヨーロッパ、アメリカでのそういった監督達の評価が高いのも事実だ。僕が言っているのは、日本映画全体、そして見る側の多くの人が、錯覚を起こしているという事。また、それに気づいている人も決して少なくは無いはずだ。

同じ日本人として嬉しいのは、そういった監督達が、アメリカやヨーロッパに吞み込まれていないという事。数年前「Jホラー」と言う言葉で、日本人はとんでもない勘違いをして、アメリカで大失敗している。実際に、アメリカで成功した唯一のJホラーは「リング」だけ。あえて、タイトルは言わないが、その「リング」に便乗した形で製作されたJホラーはとんでもない酷評をされた。僕も、映画館にいたが、満員の観客による大ブーイング、一時間過ぎた頃には客が帰り始めた・・・。それでも、続編が製作され、マスコミはJホラーブームを詠った。その後、何本も日本のホラーをリメイクしたが全く駄目だった。そうなるとマスコミは、手のひらを返したように取り上げすらしなくなった。マスコミとはそういうものだけど・・・。

ここ10年で、日本国内でヒットした映画の内の何本がオリジナル脚本で作られた映画だったか?ドラマの延長線作品ではなく、コミックベースの作品ではなく作られヒットした作品が何本あったか?"映画"は何本あったのか?僕にとっての映画、恐らく日本人の多くの人にとってもそうだと思うが、映画とテレビドラマの違いは何か。単純な答えだが、映画館で見た方が面白いもの、である。テレビで見れるようなストーリーのものを、映画館で観ようと思うだろうか?アクション映画でなくとも、ドラマでも、コメディでも映画館でしか楽しめないものが映画なのだ。

日本人としては、自国の歴史物、時代劇の作品があまりにも少ない。昔、映画解説者の故・淀川長治さんが、「その国を勉強しようと思ったら、その国の映画を見なさい」と言ったが、世界中見ても、ここまで自国の歴史や時代劇を描く作品の少ない国は日本以外に無い。「ラストサムライ」が公開されたとき、日本人は沸きに沸いたが、僕は、「ヤバい」と思った。なぜなら、時代劇は時代劇でも、本来の日本人を描いたものではなかったから。勿論、その要素は十分に含まれていたかもしれないが、アメリカ人の解釈した日本の歴史。だからこそ、僕は同年のアカデミー賞にノミネートされた「たそがれ清衛兵」が余計に嬉しくてたまらなかった。つまり、僕が言いたいのは日本は、日本人にしか作れない映画をもっと作るべきだということ。そういう意味でも、「おくりびと」は大成功だったと思うし、ああいう映画が作れる環境をもっともっと、日本国内で作り上げて行くべきだと思う。アメリカにいる僕が言っても、説得力無いのは十分承知だが。


欧米、日本、両方の映画 、テレビ製作のシステムを知っているコメンテーターの、デーブ・スペクターさんが言っていた通り、その為には、根本的なシステムを変えないと無理だろう。僕は日本ではたった一本しかやった事無いが、感じたのはシステム的な問題があまりにも複雑化しすぎている。勿論すべてを変えた方がいいなんて思わない。ここで説明したりするのには、あまりにも・・・、あまりにも・・・複雑過ぎる。ただ、一つだけこの場で言えるのは、国、政府が映画製作に関してもっと寛容で協力的でなければ無理だという事。もう4年ほど前で、ユニオンに入る以前で、まだ日本の映画やドラマ等の仕事をこちらでやっていた時の事で、毎回日本から来たスタッフが驚いていたのが、こちらの警察や役所が非常に協力的な事。ニューヨーク市警には、映画やドラマ、はたまたコマーシャル撮影の為の交通整理を行う専門の通称"ムービー ユニット"(映画部署)というのが設けられていて、街中での撮影では、必ずセット周辺での歩行者や交通整理を一日中行ってくれる。また、ニューヨーク市長室直轄の映画・ドラマ撮影を統括するオフィスまで設けられている。

日本で参加した映画の撮影中の時の事、渋谷のセンター街で撮影していたが、一日で終わらなかった為、後日そこへ戻り、再び撮影していた時、"裏社会のお兄ちゃん達"が現れて撮影を今すぐやめろと迫られ、そこへ警察が登場。ところが、許可を持っていたにも関わらず、警察は僕らの撮影を中止させた。まあ、その土地を昔から仕切って、その人達がその土地に持つ既得利権等が絡んだりと、日本独特の"諸事情"ではあるけど、警察しっかりしてくれよと思わざるをえなかった。日本も舞台になり東京でも撮影された映画「バベル」、DVDのメイキングを見てもらうと分かるが(日本版では出ていないかもしれないが)監督のアレッハンドロ・イニャリトゥが東京での撮影中に激怒している場面がある。「空港に降り立った時は、笑顔でようこそ我が国へ!いざ撮影始めたら撮影中止させられるって、この国はどうなってるんだ!!!」と。高速道路をライト等機材を組んだ車で走りながら撮影した所、他の車の流れを遅くさせていると理由で中止。そりゃあ、怒るわな、と思って見たが、それが日本の映画製作をする環境の現実なのである。

一時帰国した2003年に、毎年東京で行われている国際短編映画祭の六本木ヒルズでのオープニングセレモニーに参加させてもらった時、石原慎太郎東京都知事が挨拶された中で、「東京をもっと映画の作れる街にしたい」とおっしゃった。あれから、7年も経つのに何も変わっていない。政治家のパフォーマンスだったのかなぁ・・・。

とにかく、外から見れば中にいた時よりも、色んな事が見え過ぎるくらい見えてしまう。本当の意味で、日本映画が、映画を一つの"産業"とする外国と競争して行く為には、観る側ももっと厳しい目で観なければならないと思う。そして、国を挙げたサポートが必要不可欠である事は間違いない。たかが映画と言うかもしれないが、そこに人生を懸けて頑張っている人間も沢山いる事を日本の政府にはもっと分かって頂けたらなあと思うが、それは、求め過ぎでしょうか???

今日は、ブログ史上一番生意気なものになったと、自分でも思うが、これは嘘偽りの無い正直な意見です。半分は日本人としての憤り、半分は希望です。天に届けの思いであります。




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